後醍醐天皇は易経好き?

学校で日本史を学ぶと、必ずと言って良いほど紹介される天皇に後醍醐天皇が挙がりますね。鎌倉幕府から政権を奪還し建武の親政を執り行った天皇です。この後醍醐天皇が易経について非常に関心を持っていたことが、様々な文献からうかがい知れます。
例えば元号です。後醍醐天皇が在位時代に1321年〜1324年の間の元号を「元亨」としました。易経六十四卦の1番目「乾為天」の卦辞、元亨利貞から取ったと思われます。元亨→おおいにとおる=願いは叶う。まさに政治への取り組みに対する意気込みが感じられますね。
また、「太平記」には、後醍醐天皇が隠岐の島に流され鎌倉幕府の討伐の折に京へ戻るべきかどうかを易占したとの表記が有ります。その際に、得た六十四卦は地水師の上爻だったそうです。「大君命あり。国を開き家をうく。小人もちうるなかれ。」師は戦い、上爻には戦いに勝ち、国を開くと有るので後醍醐天皇は京に戻る事を決めたそうです。ただ、建武の親政は3年ほどで終了し足利尊氏が室町幕府を開きます。地水師の上爻を変じると山水蒙となり、蒙は見通しが立たなくなる意味で上爻には敵を作らないようにすべきとの心得が語られています。この時代、易占の爻を変じるまではしなかったようで、もし爻を変じて先の見通しを立てていれば歴史は変わっていたかもしれませんね。

記:谷口 尚熙

20200620