易経の考えを、読まずして経験で感じた偉人

易経は東洋占術の総本山とも言うべき、占いの原点として扱われ、四書五経の一つでもあり古代では教養書の代表で、帝王学を学ぶ上でも必須の書として扱われていました。
この易経を占術を学ぶ上で、避けて通れないのですが、いかんせん内容が難しいのです。笑
漢文な上に、一つの文章が短く、様々な意味にも取れるので、全体像を把握するまでにかなりの時間を要します。
その上、易経の基本的な考え方に「中庸(ちゅうよう)」というモノが有るのですが、これがまた捉えにくいです。笑
意味自体は過不足なく偏りのない状態を指すのですが、その考えについて単純明快とは行かないのです。
強いて言えば、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の意味と捉えると分かりやすいでしょうか。
つまり、やり過ぎはやり足りないのと同じであって、度を過ぎると成就し無くなり、ほどほどの加減をもって臨む事の重要性を基本テーマにしています。
この中庸の考えを経験を持って知り、実践していたのが松下幸之助です。
彼は奉公時代の幼い時に、タバコのお使いを良く頼まれていたらしく、前もってまとめ買いをする事で1個当たりの単価を安く仕入れ小遣い程度の儲けを出していましたが、奉公仲間から反感を買ったそうです。
これをきっかけにまとめ買いをやめ、加えて何事も独り勝ちは良くないと悟り、その後の経営の取り組みに影響を与えたそうです。
つまり、やり過ぎは心情的、環境的に己を危うくすると幼くして中庸の考えを経験をもって、松下幸之助は理解していたのでしょうね。
私の場合、来る日も来る日も易経を読み続けておりますが、肌感覚で分かるレベルに遠く及ばず、もがき苦しむ毎日です。笑

記:谷口 尚煕

※画像は松下幸之助が東京浅草の浅草寺に寄進した雷門の大提灯