国宝の手相

先月、京都国立博物館開館120周年記念特別展覧会国宝に行って来ました。
伝源頼朝像の肖像画や陶磁の油滴天目など国宝が一度に展示され、日本の悠久の歴史とたくみの技に接する事ができました。なかでも国宝「後鳥羽天皇宸翰御手印置文」の手形朱印があり、手相に関わる者としましては感慨深いものがありました。後鳥羽天皇は、承久の乱の戦いに敗れた末、壱岐に島流しに遭いました。公家と武士との権力闘争に敗れ、それから18年死期を悟った天皇により部下の長年の奉公に感謝して書かれたものです。「宸翰(しんかん)」というのは天皇の直筆の書の事で、置文は領地の配分や相続人などを記す現代でいうところの遺言書です。その効力を発揮すべく朱印が押印されています。お隣の見学者から大きな力強い手との話声が聞こえてきましたが、私は華奢で繊細な手にみえました。


手形は尖塔型と四角型の混合型です。繊細で直観力に優れ理想が高くデリケートです。また四角型の要素として几帳面で責任感の強い方です。掌線ははっきり見えないのですが、右手は感情線頭脳線を伴う変形ますかけ線で、人生のアップダウンを表し波乱万丈さを物語っています。冷静沈着さを表す長めの感情線、想像力に優れ物やお金より精神性を重んじ大きく下垂する頭脳線であります。一方、左手の頭脳線は上部方面に直線的に伸び、スマートで仕事の処理能力が高かったことがわかります。また財運線が強くでています。右手、左手とも数本の放縦線(月丘の横線)があり、当時体調が思わしくなかったことをうかがい知ることができます。この置文を記した13日後1239年3月、60歳にして壱岐で崩御されました。
画像は778年前の自筆の手紙です。その書、手形印から発するエネルギーは時代を超え、さらに多くの人々を惹きつけることでしょう。

記:玉木仁邦